「研究室の歴史」のページに記しましたように、広大日文研究室の歴史は、明治35(1902)年創立の広島高等師範学校本科の国語漢文部や、昭和4(1929)年創立の広島文理科大学文学科の国語学国文学専攻の研究室に始まり、戦後の新制広島大学文学部文学科国語学国文学専攻のそれを経て、現在の日文研究室へと至ります。
この長い歴史を持つ研究室には、日本文学(国文学)や日本語(国語)を教育研究する多くの教員が在職していました。以下が、その全教員の一覧表で、主に、上記研究室の歴史において、日本文学や日本語を専門とした教授、助教授、専任講師職の方を取り上げました。中には学者として非常に著名な方の名前も見えます。
名前 | 生没年 | 在職、業績など |
堀 維孝 | 慶応4(1868)年 ~昭和29(1954)年 | 山形県中卒。金沢の四高を経て、高等師範に明治35年から大正4年まで在職。高等師範退職後、学習院の教授に就任。 |
藤村 作 | 明治8(1875)年 ~昭和28(1953)年 | 東京帝大卒。上田万年、芳賀矢一、藤岡作太郎に師事し、近世文学を研究した。高等師範に明治36年から42年まで在職し、退職後は東京帝大へ転任。戦前の代表的な国文学者の一人として学会に大きな業績を遺した。 |
吉沢 義則 | 明治9(1876)年 ~昭和29(1954)年 | 東京帝大卒。高等師範に明治38年から40年まで在職し、退職後は京都帝大へ転任。『源氏物語』の研究で知られ、著書に『対校源氏物語新釈』等がある。 |
樫尾 治 | 不明 | 高等師範に明治41年から大正8年まで在職。明治期の『東亜の光』や『心の花』に和歌についての論文を寄せている。著書に『実際的商業作文』がある。 |
渡邊 良法 | 明治12(1879)年 ~不明 | 東京帝国大卒。高等師範に明治43年から大正6年まで在職。退職後、大阪外国語学校に転任。論文に「法隆寺と一切経」(『奈良文化』昭和元・10)がある。 |
下村 莢 | 不明 | 高等師範に大正5年から8年まで在職。『東洋哲学』(大正8・8)の「井上円了号」に円了に対する追悼文を寄せている。 |
鈴木 敏也 | 明治18(1885)年 ~昭和20(1945)年 | 東京帝大卒。高等師範、広島文理大に大正7年から昭和20年まで在職。広島文理大創立と同時に教授に就任、主に近世文学を研究した。著書に『近世日本小説史』等がある。 |
斎藤 清衛 | 明治26(1893)年 ~昭和56(1981)年 | 東京帝大卒。高等師範に大正9年から昭和8年まで在職。退職後、国内を放浪、大学等を転々とした。戦後、広島文理大、広島大教授に就任。後、東京都立大へ転任。中世文学の研究で知られる。紀行、随筆等の著作も多い。 |
荘田 安太郎 | 明治12(1879)年 ~不明 | 東京帝大卒。高等師範に大正9年から昭和3年まで在職。後、東京女子高等師範学校へ転任。著書に『竹取物語栞』がある。 |
岡本 明 | 明治28(1895)年 ~昭和38(1963)年 | 京都帝大卒。高等師範、広島大に昭和4年から34年まで在職。和歌、俳句を講じ、著書に『万葉名歌書釈』、『去来抄評釈』等がある。歌人としても活動した。 |
東条 操 | 明治17(1884)年 ~昭和41(1966)年 | 東京帝大卒。高等師範に昭和4年から7年まで在職。退職後、学習院、東洋大等で教鞭を執る。高等師範在職中に柳田国男、橋本進吉らと『方言』を創刊。著書に『方言と方言学』等があり、日本方言学の基礎を築いた。 |
土井 忠生 | 明治33(1900)年 ~平成7(1995)年 | 京都帝大卒。広島文理大、広島大に昭和4年から38年まで在職。キリシタン資料にもとづく中世日本語研究で知られる。著書に『吉利支丹語学の研究』などがある。 |
林 実 | 不明 ~昭和16(1941)年 | 高等師範に昭和8年から15年まで在職。昭和9年の『国文学攷』創刊号に論文「「宇津保物語」画詞考」を寄せている。 |
鶴田 常吉 | 明治27(1894)年 ~昭和63(1988)年 | 広島高等師範卒。同校に大正9年から昭和22年まで在職。退職後、福岡第一師範学校長、徳島大教授に。著書に『日本文法学原論』等がある。 |
倉野 憲司 | 明治35(1902)年 ~平成3(1991)年 | 東京帝大卒。広島文理大に昭和12年から13年まで在職。戦後、福岡女子大に長く勤め、学長も務めた。『古事記』の研究で知られ、著書に『古事記全注釈』等がある。 |
金子 金治郎 | 明治40(1907)年 ~平成11(1999)年 | 広島文理大卒。高等師範、広島大に昭和16年から45年まで在職。中世文学、連歌を研究し、43年に『菟玖波集の研究』で日本学士院賞を受賞した。 |
藤原 与一 | 明治42(1909)年 ~平成19(2007)年 | 広島文理大卒。高等師範、広島文理大、広島大に昭和16年から47年まで在職。学生時代に東条操の影響を受け、方言学の道を歩む。『瀬戸内海言語図巻』等著書多数。 |
真下 三郎 | 明治40(1907)年 ~平成19(2007)年 | 東京帝大卒。高等師範、広島大に昭和17年から45年まで在職。近世の語学、文学を専門とし、女性語研究にも力を注いだ。著書に『婦人語の研究』、『遊里語の研究』等がある。 |
磯貝 英夫 | 大正12(1923)年 ~平成28(2016)年 | 広島文理大卒。広島大に昭和36年から61年まで在職。近現代文学を専門とし、『昭和初頭の作家と作品』等の著書がある。ふくやま文学館の初代館長も務めた。 |
小林 芳規 | 昭和4(1929)年 ~ | 東京文理大卒。 広島大に昭和40年から平成4年まで在職。角筆文献による国語学の研究を行い、平成3年に『角筆文献の国語学的研究』で恩賜賞、日本学士院賞を、令和元年度には文化功労者を受賞した。 |
稲賀 敬二 | 昭和3(1928)年 ~平成13(2001)年 | 東京大卒。池田亀鑑に師事し、平安文学を専門とした。広島大に昭和31年から平成2年まで在職。その研究業績は『稲賀敬二コレクション』にまとめられている。 |
米谷 巌 | 昭和5(1930)年 ~平成21(2009)年 | 広島大院博士課程退。広島大に昭和47年から平成6年まで在職。松尾芭蕉を中心に近世俳諧を研究した。 |
室山 敏昭 | 昭和11(1936)年 ~ | 広島大院博士課程退。広島大に昭和50年から平成12年まで在職。方言語彙論を中心とした国語学を専門とする。著書に『方言語彙論の方法』等がある。 |
位藤 邦生 | 昭和19(1944)年 ~ | 広島大院博士課程退。広島大に昭和51年から平成19年3月まで在職。中世の和歌、日記文学を専門とし、著書に『伏見宮貞成の文学』等がある。 |
藤本 千鶴子 | 昭和17(1942)年 | 広島大院博士課程退。広島大に平成元年から8年まで在職。森鷗外等の日本近現代文学を専門とする。 |
槙林 滉二 | 昭和14(1939)年 ~ | 広島大院博士課程退。広島大に平成6年から15年まで在職。北村透谷を中心とした近現代文学を専門とする。その研究業績は『槙林滉二著作集』にまとめられている。 |
瀬崎 圭二 | 昭和49(1974)年 ~ | 東京大院博士課程了。広島大に平成20年から28年まで在職。消費社会における文学の様相を中心とした近現代文化研究を専門とし、著書に『流行と虚栄の生成』等がある。 |
松本 光隆 | 昭和30(1955)年 ~令和元(2019)年 | 広島大院博士課程退。 広島大に平成7年から30年まで在職。平安・鎌倉時代の漢文訓読語史研究を専門とし、著書に『平安鎌倉時代漢文訓読語史料論』等がある。 |
主要参考文献
『国文学攷』(昭和9~平成19)
樫尾道子『むらさきの花―樫尾道子詠草―』(昭和15)
『広島文理科大学 広島高等師範学校 創立四十年史』(昭和17)
『荻村堀先生遺稿』(昭和31)
「四明岡本明先生年譜」(『国文学論叢』昭和39・8)
『広島大学二十五年史』部局史(昭和52)
『広島文理科大学創立五十周年』(昭和55)
『日本近代文学大事典』机上版(昭和59)
「故鶴田常吉先生 略歴・主要著述目録」(『徳島大学国語国文学』平成元・3)
『帝国大学出身人名辞典』(平成15)
『広島大学五十年史』資料編下(平成15)
「小林芳規博士略年譜」(『小林芳規博士喜寿記念 国語学論集』平成18)
「真下三郎先生 追悼」(『表現研究』平成19・10)
「稲賀敬二略歴」(『日記文学と『枕草子』の探求』〈稲賀敬二コレクション6〉平成20)
「位藤邦生先生略歴・研究業績」(『国語と教育』平成20・12)